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Go and pray
at a shrine
高山彦九朗を祀る神社
出張祭典、神葬祭などもご相談いただけます
お知らせ



当社は平成26年(2014)12月に放火により全焼しました。ただいま再建に向けて活動を開始したところであります。再建には多額の費用がかかります。そこで皆様からのご寄付をお願いするべく、ただいまクラウドファンディングの準備中です。もうしばらくお待ちください。尚、お振込みでのご寄付は承り中です。
只今、ホームページを改修中です。
 

尊皇思想家高山彦九郎を祀る神社

高山神社のホームページへお越しいただきありがとうございます。
創建は明治6年(1873)に高山彦九郎生誕の地・太田市細谷に小祠が設けられました。
地元有志が神社創建を政府に願い出たことにはじまり、明治11年に内務卿に認可され、 翌12年に天神山中腹に社殿が造営されました。
御祭神の高山彦九郎は尊皇思想家で、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を 与えたことなどから、国家安泰、家内安全、学業成就の信仰があります。
また日常的に二百段以上ある石段を地域の方々や運動部の学生さんたちが上り下り するなど皆さんの健脚に役立っています。
神道の葬儀(神葬祭)等のご相談もお気軽にお申し付け下さい。 また、春には満開の藤が咲き誇り、その華やかさと香りで皆様を癒しております。 皆様の御参拝をお待ち申し上げます。
高山神社の歴史

神社として地域の方々の暮らしに寄り添います

御祭神である高山彦九朗は、延享4(1747)年に上野国新田郡細谷村に生まれました。そして、13歳で「太平記」を読破したことをきっかけに勤王の志を持ち、18歳の頃には家を出て全国各地を巡歴していく中で、後に蒲生君平や林子平らと共に「寛政の三奇人」と呼ばれ大正期には教科書にも記載される勤王思想家となりました。しかし、尊号一件と呼ばれる事件の後に幕府から警戒されるようになり、最終的に寛政5(1793)年には筑後国久留米にて自刃しました。

高山彦九朗は、幕末の志士たちに大きな影響を与えたことから、明治維新を導いた先駆者とも位置づけられております。

ご祈祷案内

生活に密着したご祈祷や祭事などについてご相談を承ります

御祭神であらせられる高山彦九朗が優れた勤王思想家であったことから、学業成就・国家安泰・家内安全などの信仰がございます。また、家内安全や学業成就のご祈祷はもちろん、厄除けや出世祈願、縁結びなどの様々なご祈祷についても承っております。厳粛にご奉仕いたしますので、何らかのお悩み事などがございましたらぜひ気軽にご相談ください。お一人でも多くの方々に安らぎをお届けできるようにご祈祷してまいります。 地元の方々をはじめ、多くの皆様の想いに、ご相談からご祈祷に至るまで真摯に寄り添います。
出張祭典について

地鎮祭や上棟祭などの各種祭典を執り行います

出張祭典は、家を建てる前の地鎮祭、井戸や家屋を解体する浄祓い祭、屋敷神を祀るお稲荷様や神棚祭などがございます。様々な場面でご祈祷、儀式を執り行う出張祭典にも対応しております。出張祭典は願意により初穂料(祈祷料)が異なりますので、一度お問い合わせください。安心してご依頼いただけるように、事前のご相談も丁寧に承ります。滞りなく全ての儀式を進められるように、お一人ずつのご要望を丁寧にお伺いしながら、日程や流れなどについてご説明してまいります。
神葬祭について

日本固有の葬法である神葬祭にて厳粛にご奉仕

神葬祭は、神道の儀礼に基づいて執り行われる葬儀式のことです。神道には人生の節目に神様に感謝・ご報告する初宮参りや七五三、成人式、厄除け等の様々な人生儀礼があり、その最期を飾る重要な儀式が神葬祭です。現在では一般的に、葬儀といえば仏教の専門と思われがちですが、神葬祭は仏教が日本に伝来する以前から日本民族固有の葬法として存在し、古事記や日本書紀の中でその様子が描かれております。 神葬祭では生前の身分・地位に関わらず、全ての方に平等かつ厳粛にご奉仕し、大切な方とのお別れをお手伝いいたします。
所在案内

昭和7年の造営から今日まで天神山の山頂にございます

概要

神社名 宗教法人高山神社
住所 〒373-0057
群馬県太田市本町48-32
電話番号

0276-22-3055

0276-22-3055

営業時間 10:00 〜 15:00

御祭神

高山彦九郎正之命(たかやまひこくろうまさゆきのみこと)

沿革

明治12年11月天神山中腹に創建。

昭和7年3月に社殿は山頂に移り新社殿完成。

平成26年12月放火にて全焼。

平成31年3月仮本殿完成、現在に至る。